« 市政報告会inワークピア | トップページ | ごみ処理は行政の土台 »

2010年11月16日 (火)

観るということ

観るということは心で観るということです。金子みすゞの詩を紹介します。

   大漁

朝焼け小焼けだ大漁だ

大波鰯の大漁だ

浜はまつりのようだけど

海の中では何万の

鰯のとむらいするだろう

「仏教で観るというのは、物事を静かに落ち着いて正しく観察すること。観察という言葉はもともと仏教の言葉で大宇宙、大自然の一切をあるがままにみつめること、過去も現在も未来も、上下も左右も、人間関係もすべて正しく観察すること、それを一字で観るといいます。観達というのは、そのものとひとつになること。花を観たら花になりきり、雪を観たら雪になりきる。つまり、対象物との間に距離を持たないのです。母親が子どもの気持ちになりきる。先生が生徒の気持ちになりきる。こちらからあちらをみるのではなく、そのものを観たらひとつになりきる。これが観達」

永平寺の貫首、山田霊林氏のことばです。

鰯の大漁を喜んでいる人たちがいる中、鰯を観ながら、鰯とひとつになって、海の中に思いをはせる金子みすゞさんの感性。おそらく人にも動物にも植物にも同じ気持ちで接しているのだろうと思います。そのあたたかさと感性が今の時代には必要です。

酒井大岳著「金子みすゞの詩と仏教」より

|

« 市政報告会inワークピア | トップページ | ごみ処理は行政の土台 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/526797/50048059

この記事へのトラックバック一覧です: 観るということ:

« 市政報告会inワークピア | トップページ | ごみ処理は行政の土台 »